こんばんは。
夕焼け前の、グルーグレーの空が今日はめっちゃ綺麗でした。
さて。
珍しく今日は色々なことがうまく進行して、すごくポジティブな気持ちで夜を迎えました。
最近始めた日記の書き方も、なんだかしっくりきていて。
何年も前から日記は書いていたのですが。
「その日の感謝を3つ」
とか、
「今日のできたことを書く」
とか、
いろいろチャレンジしたんですけど、感謝とか達成感とかは「日記に書くために頑張って捻り出してない、わたし?」という気がしてました。
素直に感謝していることがほとんどですけど、たまに何にも感謝が浮かばない日もあって。
いや、たまにじゃなくて、しょっちゅう、「今日は何にも感謝できないよー」という日がある。
そういう日の日記に、「感謝ゼロ。つまらない日だった」と書けたらいいんだけど、そうすると、自分がものすごく感謝する心のない人間のようで、それがツライ。
「人って字は助け合ってできている」って金八先生が言ってたんでしたっけ?
あれ、一方が一方を一方的に支えているだけの気もしますが 笑
ともかく、社会は支えあってできているものなのに、1日を社会の中で暮らして「何も感謝することが見出せない自分」を1日の最後に発見するのは、ものすごく居心地が悪いというか、自己肯定感が下がる。
だから、1日を振り返って「ありがたいな」という事柄を探すわけですが。
本当にありがたいと思った?
無理やりありがたいという言語化してない?
そういう疑惑が自分の中に広がってきて、日記を書くという作業さえなければ、自分の中で自然に生じて、自覚もないままに、相手への好感として蓄積されていたはずの「あわひ」だったのに、わざわざ言語化することによってそれを貶めてしまったような気がしていました。
それで、日記のやり方を変えたんです。
どう変えたのかは秘密。
でも、わざと、「1日をポジティブに変換する」のをやめたのは確かです。そうすると、気が楽になりました。自分の感情をラベリングすることが、メンタルコントロールに大事なのはわかっているつもりだし、「ああ怒っているな」とか、「この怒りは不安からきているな」とか、認識するのって必要なことだと思う。相手が原因じゃない。自分に原因があるとわかると、それなら、自分でなんとかできる要素も生まれるから。
もちろん、自分の悲しさや不安は、自分でも簡単に変えられないよ?
でも、相手を変えることはできない。絶対に。
だったら、どんな感情も自分が生み出しているとわかっていた方がずっといい。
ーーで。
日記を変えたおかげかどうかは不明だけど、今日は、問題なく過ごせて、あー、よかったなぁって思って夜を迎えました。
そうしたらね。
夜になってから、やっぱり起きたの。
想定外のこと。
あーー、そっち方面ですか、って感じで・・・。
え?
どうしたかって?
もちろん、冷静に対応したよ。ーーできてたかって? できてたつもり。笑
特にトラブルもなかったしね。淡々と過ぎたという感じ。相手の主張もちゃんと聞いて、伝えないとならないことは伝えて、簡潔に終わった。
疲れちゃった。
これも自己成長?
コミュニケーション能力向上?
視野が広がった?
スリルに溢れる生活の方が刺激的?
ーーーいやいやいや!(強調っ)
そんなレベルアップいらんから、静かな夜を過ごさせてほしい〜〜。
あのね。
最近、よく「物事はリフレーミングするといい」というお説を見かけます。
ネガティブ思考に偏りすぎるのは良くないよ?
物事に固定の額縁をかけずに、たまには違う額縁をかけてみて?
ほら、いつもの絵も額縁を変えたら、見違えるでしょう?
同じように、否定的にしか捉えられない現実も、見方を変えたら、学べることや得られることがたっくさんあるんだよ!
・・・ってことでしょうけれど。
・・・
ゴッホやモネは、額縁なしでも売れると思いますし、絵そのものが素敵ですよね?
自分にとって、この出来事はとてつもないストレスだけど、見方を変えれば、違うように考えられるはず。見方を変えよう、変えよう、変えよう。そうだ、感謝するんだ・・・
無理です。
しんどいもんはしんどい。
ニーバーの「平和の祈り」にある通り
「変えられるものと変えられないものを見極める知恵をください」です。この言葉が、こういうときの私には大事だなって思います。
しんどいって気持ちはどうしたって変えられない。しんどいと思っている見方は変えられない。
だけど、しんどいって思いながら、皿を洗ったり、お風呂に入ったり、読みかけの本の字を追うことはできる。しんどいって思ったその空気感から、1メートルでも、1秒でも脳みそを変えることはーー変えようと試みることはできる。
すぐに、しんどいって想いが消えなくてもいい。
あのことはめっちゃしんどかった。うざすぎた。
とりあえず皿洗おう。
スポンジに洗剤を落とした瞬間から、視界にあるのは汚れた皿とモフモフのスポンジ。少なくとも、油汚れをちゃんと落とそうとか、どんな順序で洗おうとか、考える。作業するための脳とネガティブな脳の働きがシェアし始めたら、嚆矢。めっけもの。戻っていく。
ホント、毎日は想定外の連続で。
うまくいく、と思って喜んだ日こそ、落とし穴があるもんだけど。
読みかけの本を読んだり、自分で作ったご飯が美味しかったり、コンロを徹底的に磨いたり。
そんなことをしていたらね。ふと気づきました。
あれ? 落とし穴に落ちたんじゃなかったんだって。
なんでもない日だった。
ただ、それだけだったんだなって。