探しにいくよ

ひとりごと。

99.9%のグレーと100%の黒

こんばんは。

 

気持ち悪いぐらい暖かいので、素足でPCを打っています。

冬は苦手なので、気温が高いのは個人的には大歓迎ですけど、夏が異常に暑かったり、12月になって20度を超えたりすると、「地球さん、大丈夫?」と心配になっちゃいますよね。

 

普通が一番。

 

フツーって言葉は苦手です。フツーってなんだよ 笑。

 

そうやってとんがっていた時期もありました。

 

ダイバーシティの時代になって、この普通って概念もファジィになりましたね。

何が普通かなんて、人によって様々です。「普通」という大前提で人と話そうとすると、大抵は物別れに終わりそう。

 

例えば、誰かと小さな頃の思い出話をするとします。

私にとって子供の頃の思い出で強烈なのは、肝試しです。森にある神社まで、蝋燭一本持って子供一人ずつ歩いて行かされて、そこに置いてあるお札を取って帰ってくるっていう、今考えると信じられないような肝試しがあったんです。もし、途中で事故や怪我があったらどうしたんでしょうか。そんなことは考えてなかったのかもしれません。そういうことも含めての肝試しだったのなら、ある意味すごいなって思いますけど。

 

でも、他の人の子ども時代の思い出は全然違うと思います。

七夕とかクリスマスとかの行事かもしれないですし、家族旅行かもしれないし、あるいは友達とのたあいない出来事かもしれない。人によっては、振り返ることもできない出来事が一番強烈に残っているという人もいると思います。

 

だから、普通なんて枠組みをすること自体、意味がないなって思います。

 

でも、この普通っていう言葉は、ものすごく強烈な効果があって、この普通という言葉に私たちは従って暮らしている。少なくとも私は、自分が「普通」として取り扱われると、ものすごく安心します。認められたと感じます。

 

誰に認められたのかは、わからないんですけど。

 

社会とか、周囲の期待とか、そういうことかもしれませんし、自覚していない自分自身への期待感かもしれません。

 

最近は、パスワードだけでなく、その後でもう一度本人確認を行う2段階認証がスタンダードになってきていますけど、そういうのと似ている気がします。

 

普通と取り扱われることによって、今生きている自分自身に「それでいいよ、間違ってないよ」とゴーサインを出してやることがやっとできるんです。

 

こういうめんどくさいことばっかり考えていると、どうしても、スマホにフィルターバブルがかかってきます。

 

できるだけ回避しようとはしていますが、それでも自然と似たような記事がおすすめされてきます。「ストレスを解消するには」とか「対人関係で悩むとき」とか。

 

おすすめ通りになるのも、ちょっと悔しい。ますますアルゴリズムに拍車がかかってしまう。

それは怖いんですけど、やっぱり興味があるので、おすすめされた記事を読んでしまうわけですが、その中でどうしても引っかかることがあります。

 

大抵の記事に書いてあるんです。

 

「悩む人、トラウマのある人は、ゼロ/100思考をするので、やめましょう!」ーーって。

 

つまり、白黒思考、二極化思考をやめた方が、楽に生きられますよって、記事を書いた人々は親切に勧めてくれているわけで。

 

善と悪。正と誤。決めつけない方がいい。この世で生きていると、白黒つけられないことの方が多いから。だから、グレーでいこう、臨機応変に、曖昧で揺らぎやすい基準も広い心で受け入れていこう。

 

そういうことだと思うんですけど。

 

じゃあ。

 

99.9%のグレーと、100%の黒は、別の色ですか?

 

私は絵を描くことなんてほとんどしたことがなかったんですが、最近、たまたまPCで色を塗る機会がありまして。PCの色って、本当にたくさんあるんですね。グレーも濃淡様々でした。黒に限りなく近いグレーなんて、私には黒との違いが全く分かりませんでした。ただ、色番号が違うから、あっ、違うんだ、ってわかるだけで。

 

この見た目では違いのわからないグレーと黒を使い分ける意味があるのかなって、私は思ったんですけど・・・。

 

詳しい人が教えてくれたんです。

 

「色番号が違うってことが大事なんだよ」

 

えっと、つまり、たとえ0.1%の違いでも、自分がグレーだと思って選ぶか、黒だと思って選ぶかで、たとえ見た目は一緒でも、違うんだなってことです。

誰もその違いに気づかないかもしれない。

自分でも、あれ?自分が選んだのってグレーだったよね?って不安になるかもしれない。

でも、グレーを選んだのなら、絶対に違いはあるんです。

 

 

こんなことを言いながら、私は「白黒思考をやめましょう」っておすすめ自体が嫌いです。

白黒思考をやめようって言いながら、「白黒思考は良くないものだ」という思考が既に、白黒思考の一部だと思うからです。時には白黒思考が必要なこともある。断じてNOと言わなければならない時があります。

 

「あなたなんて黒です。真っ黒です。だから、私の生活から排除します。お願いしますから、出ていってください」

 

相手が正しいかどうかか問題ではないんです。とにかく、相手を黒で、自分を白だと断定して、相手と自分を切り離すことでしか、現状から立ち上がれない人もいる。相手にNOを突きつける時、罪悪感にズタズタになりながらも、必死でその人は生きていこうとしているわけで。

「白黒思考は良くない」という勧めは、もともとNOという言葉を言い出しにくい人から、NOという言葉自体を口にする機会さえ奪う可能性があると、私は思います。

 

クリスマスの飾りを飾ったけれど。

改めて思っています。

 

クリスマスは苦手です。できれば、この季節は通り過ぎてほしい。

 

でも。

今年は好きになりたいと、思っています。