探しにいくよ

ひとりごと。

華奢なアリバイ

こんばんは。

 

今日は、久しぶりに短編を一つ。

第二回目ぶり。

フィクションを描くのは、本当に久しぶりだから、

どうぞ半開きの目でお読みくださいますように。笑。

 

 

 

なお、登場する人物・場所は完全にフィクションです。

_______

 

「バイバイ、お姉ちゃん」

 

火葬場の炉に進んでいく棺を見送る。真っ白い棺は、廉価な品だったけれど、せめてもの心遣いと思って、姉の大好きだった花束を棺の上に乗せてもらった。

 

今までありがとう。

長い闘病生活を、グチひとつ言わないで、お疲れ様でした。

ゆっくり休んでください。

 

控え室に案内される。兄と妹、あと葬儀を担当してくれたお坊様が一緒に来てくれた。姉が信心を持っていたなんて、生前は聞いたことがなかった。全て、自分で段取りを済ませて、残された兄妹に迷惑がかからないように手配していた。最後までお姉ちゃんらしい。

 

「ジュース、いかがですか?」

 

オレンジがいいか、りんごがいいか、迷っていると、お坊様は「ではお茶をいただきます」と言った。場にしっとりと馴染む微笑み。百戦錬磨のお坊様なんだろうな。若そうに見えるけれど、こういう職業の人って、年齢がわからない。ーー40代? ーーいや、30・・・

 

瓶入りの麦茶を、手酌で、硝子コップに半分注いで、さっきまで読経をしていた唇にそれをそっと押し当てるお坊様。

「美味しいですね」

本当に飲んでるの? コップの中身が減ったように見えない。

 

「実は・・・」お坊様が兄妹を見渡した。ゆっくりと。読経の前に、経典を開くときのように、そろり、とした目線の配り方。重要な話が始まる気配。

「お姉さまの最後の言葉を預かっています」

 

「何それ? 遺言ってこと?」さっきまで、お坊様に何ひとつ配慮を見せなかった兄が、飛び出してきた蛙のように、膝に両手を打ちながら、身を乗り出した。「もしかして遺産? 姉ちゃん、なんか遺してくれたの?」

 

「ちょっと待ってよ」と私。

 

「姉ちゃん、もしかして聞いてるの?」

 

その胡乱げな声色に、ハッとして振り返れば、普段は仲の良い妹が湿気を含んだ目でこちらを見つめている。

 

「何も知らないわよ。なんで私が知ってるのよ」

「姉ちゃんなら、おお姉ちゃんから聞いているかと思った。ずっと看病してたから」

「そうだけど・・・確かに看病していたけど・・・」

「やっぱり、知ってるでしょう?」

「だよね。知らないって不自然すぎ。お前がなんか俺らに隠してんじゃね?」

 

妹と兄が続け様に追い詰めてくる。待って。本当に何も知らないのよーーこの話は!

 

「お姉さまは私以外には秘密にしておられました。臨終の前日、お一人の時に私を枕辺に呼ばれまして、お姉さまは最後の言葉を託されました。”のぞみ、幸せに”ーーそう、ご兄妹に伝えてほしいと」

 

沈黙。

 

「何それ? それが姉ちゃんの最後の言葉だっていうのか?」と、兄が怪訝な顔でさらに前のめる。

「ええ」

 

深いため息を妹が吐く。

 

「おお姉ちゃんらしいなぁ。看病への感謝の言葉を人伝にするところなんか、おお姉ちゃんらしくて、泣けてくるよね。ね、のぞみ姉ちゃん? ーーやだ、なんか、辛かったのに、救われる感じ」鼻を擦りながら妹が泣き笑う。

 

「のぞみさん」お坊様が体ごとこっちに向き直る。「お姉さまは、のぞみさん、あなたにぜひ感謝を伝えてほしいと言っておりました。命が間も無く終わろうとしている自分にとって、あなたこそが、私の人生ののぞみーー希望そのものだからと」

 

読経の時のように、低周波で流れるお坊様の語り掛けをもう少しで理解できないところだった。希望? この私が?

 

「ちょっとお手洗いに・・・」

 

席を立つと、後を追うように、

 

「ーーあっ」と声が上がって、振り向くと、お坊様が袈裟の懐に手を入れていた。「どうやら数珠を炉前に忘れてきてしまったようです。失礼して取りに行ってまいります」

 

そう言って、お坊様はあっという間に、私の横についてきた。

 

「のぞみさん、あなたは喪主ですから、今後もお付き合いをさせていただくことになると思いますので、私の名刺を渡させていただきます」

兄は、喪主を固辞した。理由は知らない。聞きたくもない。

「お名刺なら葬儀の前にもらいましたけれど」

「あれは、僧侶としての名刺です。寺の住所と電話番号しか記載していませんので、お電話いただいても、お勤め中などは出ることができません。一方、こちらは本名を記載してある名刺です。携帯電話の番号も記載してあります。できる限り、対応させていただきますよ」

「はあ」

 

差し出された平凡な名刺を受け取る。

 

「そういえば、私が、お姉さまの最後の言葉を伺っておりました時、あなたはどこにいらっしゃったのですか? 聞くところによると、お姉さんの容体悪化を知ったあなたは片時も離れず看病していたはずでは? それなのに、あれほど長い時間、一体どこへ?」

 

ギョッとして顔を上げると、冷ややかな黒い目が見下ろしていた。

 

「あの時、お姉さんの心臓が止まりましてね。病院が急いであなたと連絡を取ろうとしたのです。しかし、あなたとどうしても連絡が取れなかった。幸い、お姉さんはすぐに意識を取り戻し、心配させたくないから、さっきの緊急事態についてはのぞみに知らせないでほしいと病院に頼んだのですよ。それで病院側も私も黙っていました」

「あの時は仕事で・・・」

「職場にも連絡しました。あなたにアリバイはありません」

「・・・・」

「それでもまさかと思っていました。あなたが今朝チューリップを抱えて葬儀場に来るまではね」

「チューリップ・・・」

「お姉さんは常々自分の葬儀には黄色いチューリップを飾ってほしいと、ご主人様に頼んでいました。しかし、ご主人様と離婚して以降、葬儀はすべて真っ白がいい、という願いに変わっていました。何かの話の折にお姉さんがそう語るのを、あなたも耳にしたことがあるはずです。それなのに、あなたは今朝、葬儀の場に黄色いチューリップの花束を持って来られた。誰からお姉さまのかつての願いを聞いたかは明らかでした」

 

そんなことは証拠にならない。

かつての姉の希望を叶えただけということもある・・・

 

「僕はね、お姉さんの元同僚です。ずっと彼女のことが好きでした」

 

主格が「私」から「僕」に突然変えられた。姉ちゃんの元同僚? このお坊様が? 素知らぬ顔でお坊様は、淡々と続けた。

 

「もちろん、僕の私情は彼女に伝えていません。良き話し相手のポジションでい続けられるように努力しましたから。彼女の病気が発覚して、彼女とご主人は別れました。ご主人の将来のためです。彼女は自分が彼と離婚して、変わったことを受け入れて、この世との別れを全て整えて旅立ったのです。白い棺、簡素な式、これらには彼女の思いが溢れています。

のぞみさん、あなたは姉の思いを知りながら、姉の夫と関係を持った。ひどいことです」

 

仕方ないじゃない。あの人は私を好きだと言った。私も好きだった。

 

「心配は要りません。お姉さんはあなたを許しています。なぜだと思いますか? 自分の愛した夫が幸せになると信じたからですよ。だから、のぞみ、幸せに、と言い残したのです」

 

そう。私が彼を幸せにする。

 

「ちなみに、なぜ彼が、病気のお姉さんと別れたか、ご存じですか?」

「姉が希望したからと」

「そうではありません。病気の人は苦手だと告げられたと」

 

嘘でしょう?

 

「せいぜい健康で長生きしてください。そうでないと、彼がまた他のところに行ってしまいますよ? そもそもアリバイという言葉の元の意味は、”他のところに”です。浮気する人にぴったりの言葉ですね。のぞみさん、お幸せに。」

 

会釈しながら、お坊様は炉前ホールへと向かっていく。

線香の匂いが瞳に沁みた。

 

 

 

 

読んでいただきありがとうございました!